向き不向き
pixivMARKETお疲れ様でした。
本見てくださった方、ありがとうございます。
8月のコミティアにも出る予定なので、よろしくお願いします。
(新刊はありません。)
今日は向き不向きの話を書きにきました。
自分がそれに向いている、向いていないって、どこで判断してるのかな、という話。
・得意である(他の人より成果が出せる、出しやすい)
・やってて楽しい(苦ではない)
・集中できる、没頭できる
とかが向いてる、その逆が向いてない、の基準なのかな、と思うんですけれども。
これって本当に、大した根拠がないことなんだな~とか思ったりするわけです。
なぜかというと、
・得意である -> 続けていけばできないこともあるかもしれない(今できなくてもこれからできるようになるかもしれない)
・やってて楽しい -> うまくいかない状況になったら楽しくなくなるかもしれない(できるようになったら楽しめることが他にもあるかもしれない)
というように、現時点の状態が将来的にも続かないかもしれないからです。
私も自分である程度これは向いている、向いていないと思うことが色々ありますが、10年後20年後同じかどうかなんて誰にもわからないですよね。
例えばというか自分語りですが、私は学生時代、アイデアを出したりするのは苦手だったし、向いていないとずっと思っていて、新しいものを作るのはできないと思っていました(と言いながら絵も描いてたし、開発部署希望でしたが…)
でも、今は違います。アイデアを出すのは苦ではないし、もしかしたら向いてるかもしれない...と思っています。
今は、あの頃は経験が少なかった、やり方を知らなかった、何か有用なことを言わなければいけないと思いこんでいた、のかなぁ、と思います。
他の苦労を知らないっていうのもあったかもしれません。
発散したアイデアを取捨選択して形にしてやり遂げることの難しさに比べたら、無責任にアイデアを出し続けることは、それほど難しいことじゃない気がしています。
今の自分にできる=向いてるんだ!って思うのは自然なことですけど、なんか若い頃って突っ走りがちというか、それ以外拒否しちゃうみたいなことも多いのかなって思います。
自分もそうだったし、周囲の人、今の若い人たちを見てもそう思います(自分もまだ若い方ですけど...)
でも若い頃の経験って、そんなに多くないと思うんですよね。
私は、そんなので自分のことわかった気になってる方がおかしいと思うようになりました。
自分の感覚って、結構不確かなものですし。
とは言ってもですね、さっきも書いたように将来のことなんて誰にもわからないんで、結局自分が向いてると思う事柄に注力してやっていくしかないのはそうなんですよね。
いたずらに多方面にいろんなことやった方が良いとか言うつもりは全然ありません。
自分のリソースは有限ですからね。
ただ、自分には向いてないと思っても、もしやる機会があったなら、もうちょっと頑張ってみたりしても良いんじゃないかな、っていうことが言いたいわけです。
辛いことがあっても、それを乗り越えた先に良いことがあるかもしれないじゃないですか。
昨今...に限らず、諦めの美学的なのとか、美しく散るみたいな話も多くて、そういうの信仰してる人も多いなって感じるんですけど、諦めないかっこよさみたいなのもあると思うので、そこのバランス感覚っていうんですかね、見切りをつけるタイミングというか、そういうのをちょっと奥にやったりとか、物事によって変えて良いと思うんで、色々やってみたら、もしかしたらもっと向いていることに出会えるかもしれないし、そういうのも新しいことをやる楽しみのひとつでもあるかなって思うんです。
なんか色々ツッコミどころもあるような内容になってしまったけど、まあいいか!
こう思うしこうとも思うこういう側面もあるみたいなの全部書いてたらきりないしね...。
(そういうの網羅したくなっちゃうのは一種の防衛みたいな話もあるし)
ということで今日はこの辺で。