絵を描く欲求
最初のテーマということで絵に対しての話を書きます。
いきなりあほほど長いですが、暇な人はお付き合いください。
(こういった長文を書くのも懐かしい...)
最近は絵を描く機会がめっきり減ってしまって、年間で10枚も描けば良い方という感じになっています。
小さいものを含めるとちゃんとしたものを今年はもう10枚以上描いていますが、一時期は年間30枚くらい描いていたし、もっと言えば学生の頃なんかは月に何十枚も描いていた時もありました。
もちろん、私は会社員なので仕事が増えていって忙しくなったとかそういう理由もあるのですが、モチベーション的な意味でも当時と比べるとかなり減退していると感じています。
そのあたりのことを色々と考えていたところ、あるエントリがあったので自分の考えを書いておこうと思った次第です。
まず、そもそものモチベーションについて。
絵を描く目的って、人によって違いますよね。
最終的には描きたいから描いている...に行き着きそうですが、なぜ描きたいのか?源泉たる部分は何なのか?は人によって全然違うと思います。
・描くという行為が楽しい
・成果(成長)が目視できるから楽しい
・描きたいものがある
・他の人の物では満足できない
・認められたい
・描くのが得意
・他のことができない
:
他にも色々あるでしょうし、多数派は時代によって違うでしょう。
絵に限った話ではないかもしれないですが、今は認められたい人が多いのかなーと感じています。
これはSNSなどで「認められた」と感じるハードルが下がったことにも起因していると私は考えていて、その環境故に発生している問題もあって...とこれだけでひとつエントリーが書けそうな話題ではあるのですが、火傷しやすいテーマなので深くは触れないでおきます。
私は絵で認められたいという気持ちがないわけではないですが、周りを見ているとかなりその気持ちは弱い方なのかなと思いますので、今回の本題ではありません。(今回の話の対象はあくまでも私。)
私が描きたい理由は、主に上4つです。
描くのは単純に楽しいし、
練習すれば上手くなるのがよくわかるしもっとこうなりたいというのが明確だし、
描きたいものがあるし、
描きたいものは自分がその時感じたことや考えたことなので、他人にはできない。
これらはきっと一生満足することはないでしょう。
とはいうものの、冒頭に記した通り最近は描く機会が減っています。
なぜなのか考えた時、
描くのは今でも楽しいのに、どうして描く気になれないんだろう?
もっと上手くなりたい、描けるようになりたいと本当に思っているのにどうして?
描きたいものはまだまだあるのに、なんで描かないんだろう?
というのが疑問でした。
まあそんなことをうだうだ考えるよりも先に手を動かした方がなんぼか有意義な気もしますが、その折に以下のエントリを読みました。
中毒っていうのはまたちょっと違う話なんですけど、要は情報過多になってしまっているのではないかと思ったのです。
現代ではtwitterやPixivで好きな絵描きさんをフォローしたり登録したりして、その数が増えると一日に何件も素晴らしい絵を見ることができます。
それに対して、すごい絵がいっぱいだ!自分も描けるようになりたい!となる人も当然居るでしょう。
私もどちらかというとそういうタイプではあったのですが、最近は本当に単に良い絵だなぁとか、凄いなぁと思うだけになることが多いと思ったのです。
それはSNSなどの環境の要因よりも、自分の内的な要因が大きいと考えています。
体力的に疲れているとか、精神的な余裕がないとか...そんな状態の時って、あまりやるぞ!とか、負けないぞ!という気分にはなれないものです(少なくとも私は無理です)
やや脱線しますが、余裕がないから奮起できない...というとよく言い訳として扱われてしまいます。しかし実際にはよくあることで、真実だと私は思っています。
そういった負荷を跳ね除けた者だけが成功するのだ、成し遂げられないのは想いが不足しているからだ、耐えられないのは弱いからだ、というような話もよく聞くことではありますが...もちろん想いが強ければ出来ることもあるでしょうが、想いさえ強ければ良いとか、想いが足りないのがダメなんだというのは、私は違うと思います。
なぜなら大してやりたいと思っていなくても余裕があったからやった、なんて経験は多いですし、私の中では他の何よりも絵が大きな比重を占めていることは、絶対に嘘ではありません。
(でも本業にはしてないじゃん、と言われるとそれはその通りなのですが、それはそれで書くことが山ほど増えるのでまたの機会に。)
要は何が言いたいかというと、余裕を持つのか、想いを強めるのか、負荷に耐えられるようにするのか...どれを起点にするかはその人が自分にあったものに決めれば良いということです。
私は、余裕を持つということをあらゆる面で非常に重要視しているので、それに注力するのが良いのでは、と自分で思っています。
ただ...極端に余裕がない、できない時にはよく当てはまる話だと思うのですが、実際には普段そこまでの余裕がないわけでもないのに描けない、描かないことも多いです。
想いが強い場合にはそれが起点になって描けるので、想いが足りないと思ってしまいがちなのですが、今回はそうではなく単に余裕がないだけなのではないかと考えてみることにしました。
自分の一般的な状態は、ダメージを負ってはいないけど、何だかずっと疲弊している...最大HPが減っているような状態なんだと考えました。
つまり日常的に疲れている。
いや実際仕事に行って帰宅するとどれだけサボってもやはり疲れていますし、絵を描くのはどうしてもその後になるので疲れているのは当たり前なんですが、それだけでは説明が付かない何とも言えぬ疲労感、それが先にエントリの紹介で触れた「情報過多」によるものなのではないかと考えました。
情報をちゃんとインプットとして受けるにはそれなりにエネルギーが必要なので、なんとなくだらだら情報を浴びていると、エネルギーを消耗する割にはインプットにならず、結果行動にも移せない、行動に移せないから焦燥感だけが蓄積してそれが更に疲労になるという悪循環が発生する。
つまり情報を受けすぎ、この場合は絵を見すぎているということです。
絵を見て疲れるなんてことあるの?という気もしますが、慢性的に刺激を受けていれば刺激にはならなくなりますし、その状態でも刺激を受けてはいるので、やはりそれなりのエネルギーを使って疲弊はしていると思います。
他人の絵を見ることである種の満足感も得られますが、実際に自分の絵を描く欲求が解消することはなく、疲弊によってその欲求を満たすことができない。
加えて言うなら、絵以外のことも情報としては受け取っているわけで、それによって無用な思考を巡らせたりして、無駄に不安がったり、不必要に焦ったりすることもままある為、より一層疲労は蓄積し、本来の欲求を満たす行動を行うことができない。
これが無自覚に行われているとすれば、それこそ無駄な疲労ですよね。
ということで...ちょっと色んな情報の受取を、減らしてみようかなと思っています。
多分相変わらずtwitterではよく発言するとは思いますが、意図的に情報を得ない時間を作ります。
ちゃんと回復して、その上でインプットすることを目標にしてみます。
そうすればもう少し余裕が出来て、もっと描きたいと思えるのではないかと。
瞑想とかも遮断による回復効果があるからやるべきという意見もあるようですし、何某か効果はあるのではないでしょうか。
まあ、色々試してその時々で良いと思うことをやっていくだけではあるのですが、とりあえずしばらくはそれでやってみようと思います。
また精力的に描いて創りたいというのは、いつでも思っていることなので。
(これがまた焦りになってるんですが)