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実写版BLEACH感想

映画や漫画のレビューってする機会がないんだけど、結構語りたいところとかもあるもんで、今後は気が向いたらここに書いていきたいなーと思います。

ということで昨日観た実写版BLEACHの感想を書きます。

一発目だからかBLEACHだからか凄い長いけど今後はここまで長くならない...と思う。笑

 

ちなみに私はゾンビパウダーで久保帯人先生のファンになって、BLEACHは連載初期というか読み切りからずっと読んでいました。

最終章は通しで読み返してないのでちょっと忘れちゃってますが、大体は覚えています(破面編までは3回くらい読み返した)

それくらいのBLEACHファン度です。

 

■総評

少し甘めで3/5点くらい。

レビューサイト等を見ると評価は2分しているみたいだけど、映画あるいは漫画実写映画において何を重視しているか、原作のどういうところが好きかによって評価が極端になっているんじゃないかと推察します。

なので、人に勧められるかというとかなり博打かな...。

原作ファンなら観てみても良いけど、劇場で観た方が良いとは言えない感じです。

ざっくり書くとこんな感じでした。

<良い点>

・キャスティング(特に一護)

・戦闘の迫力、画作り

・上記の為の原作改変

・SEや音楽、挿入歌/ED曲

<悪い点>

・構成と脚本

・上記の為の原作改変

 

以下詳細に書いていきます。

ネタバレありなので注意。

 

■キャラ

全体的に良かった。4点くらい。

黒崎一護

完璧。顔はもちろん身体も引き締まっていて手足が長く、原作の一護がそのまま実写になった感が凄かった。

福士蒼汰の演技は過剰気味だけど、一護は元々かっこつけなので違和感はなかった。

一護が画面に映って動いている間は本当に良い。アクションも良かったです。

正直これだけで観る価値があると判断する人はいると思う。それくらい完璧。

朽木ルキア

髪型の違いでよく指摘されているけど、それよりも演技が過剰で、こっちはそれが少し苦しかった。

主に脚本のせいなんだけど、どうもキャラが定まっていないように感じたかな...。

早口で抑揚がなく笑顔はほぼなし、言動も掟がどうのと言うので冷徹な印象を受けるんだけど、実際には最初から一護にバリバリ情を持っているし、情が湧いたという割には仲良くなった感もなければ表情の変化等もないので、うーんと首をひねってしまう。

アクションは頑張っていたけど、結局全体の画として見ると...髪型もね、似合っていれば別に良かったと思うんだけど、私には似合っているようには見えませんでしたね...。

他のキャストはキャラに寄せているのに、なんでルキアだけ変えたのか?という疑問が増幅しただけだった気がした。

石田雨竜

ちょっとオタクぽさ増してるけど、現代に雨竜が居たらこんな感じだろうなというイメージでぴったり。

最後に挨拶するところは非常に良い画だった。

ただ、雨竜自体無理に出さなくても良かったのでは...ちょろっと出てきて共闘しただけで、一護と特に張り合うわけでもないし、殴らせろ!等のかっこいい台詞もなし。

ただ顔見せにきただけで、滅却師の話も全く絡まないのでかなり薄いキャラになってしまっているように感じました。

あと何で恋次の名前知ってたんだろう。それは要らなかったんじゃないかな…。

阿散井恋次

ここで赤髪を使うなら、やっぱりルキアはどうして...となってしまう。

それくらい一人だけ浮いてたし、ちょっとちゃちい感じがした。

あと、大きなポニテのせいで頭が必要以上に大きく見えてシルエットが悪かったのは気になった。

ただ殺陣は素晴らしく良かったです。舞台の人らしい、さすがです。

(蛇尾丸になってからのアクションはちょっと大雑把な感じがしたけど...。)

関係ないけど、蛇尾丸ってあんな刀身でかいんだっけ?と思いながら観てて、後で確認したら元々でかかった。笑

朽木白哉

演技が棒って言われてるけど、あれはそういう(冷徹な白哉の)演技じゃないのかな...。

ただ、その演技に対して喋りすぎ。睨みすぎ。もっと黙って見つめるくらいで良かった。

そしてキャラがブレてるというか、結局白哉が何をしたいのか全然わからなかった。

掟を守りたいのかルキアを守りたいのかわからないし、これはルキアもそうだけど、掟を守ることが人間を守ることに繋がるという話がないので、単にルールにうるさい人程度にしか見えない。

しかも2人とも自分の都合で(ルキアは一護の為だけど)掟を破るような発言・行動をしていて、言ってること違うやんけとなってしまった。

特に白哉は約束も守ってないし、ただのパワハラで怖い人にしか思えなかったよ...。

・同級生達

水色だけリストラされてて悲しい。ケイゴが特に良かった。

織姫はエピソードがないせいでただの一護に恋している女の子みたいになってたし、天然って感じでもなく本当ただの女の子だったのでは...という感じに。

茶渡含め続編とかの絡みで多少立たせようとしたんだろうけど、エピソード丸々削ってるので不自然なだけだったかなあ。絡ませないならケイゴと同じ扱いで良かったのに。

・家族達

個人的に長澤まさみはあまり好きではないんだけど、全員良かったと思う。

しかしカリンってカ↑リ↓ンじゃなくてカ↓リ↑ンなのね...知らなかった…。

微妙に姉妹の役割が入れ替わってる箇所があったけど、特に気になることはなかったです。

 

■構成/脚本

これは特別酷かったと言わざるを得ない。1点もあげられるか微妙なレベル。

今回のお話をダイジェストで書くと

・フィッシュボーン戦で一護死神化。

・すぐに死神の力を返してもらおうとしたが、一護の霊圧が下がっていて返せないので虚と戦うことで霊圧を高めようとする

ルキアのことが尸魂界に知られ、一護が恋次に襲われる(顔見せのみ)

・雨竜が撒き餌を使って虚を呼び寄せ、一護が蜘蛛の虚と戦う(死神代行を了承する)

・すぐに白哉恋次が襲来し一戦交え、罪を償うか一護を殺して力を奪うかの択を迫られる

・グランドフィッシャーとの因縁がわかり、倒す為に一護とルキアが特訓する

・グランドフィッシャー戦(墓→街中で雨竜と共闘)

ルキアもろとも一護を殺す為、恋次白哉が続けて襲来

恋次を退けるが、白哉にボコられる

ルキアは死神の力を一護から返してもらい、尸魂界へ帰る

というような流れ。

一護の霊圧が下がってしまって返せない(今返すと一護が死ぬ)というのは改変としては特におかしくもないが、フィッシュボーン戦で特に傷も負っていない一護の霊圧がなぜ下がっているのかよくわからない。力を使い果たしたとか、一言あるだけで違うのに...。

その後一護が昔からグランドフィッシャーに狙われていたという話があるので、単に一護を鍛えたかったのか?とも思ったが、ルキアが初対面の一護にそこまでする義理もないしそんな描写もないし、多分本当に霊圧が下がってたということ...だと思う(すぐに力返してもらおうとしてたしね)

そして霊圧が下がっているのに剣が大きいままなのは何でなん(剣が霊圧の高さを示しているという話はなかったので別にいいけど...)

こんな風にするくらいなら、原作通りルキアの死神の力が自然に戻るまで帰れないからその間死神の仕事やってくれ、で良かったのではと思う(後々のこと考えると特に)

そして一護は死神代行を了承したにも関わらず、虚を退治する仕事はほとんどしていないのはとても気になっていたが、今思えばルキアはフィッシュボーンとグランドフィッシャーを倒しに来ただけのように喋っていたので、それは別にいいのかな?

特訓の描写なんか長々と入れるくらいなら虚退治をダイジェストででも入れろやと思っていたけど...まあそこは多分VFXのコストとかの関係ですかね。

ついでなので先に特訓の話をすると、これが本当におかしくて、普通に物理的な特訓ばかりやっていて、死神は虚を倒さないと霊圧をあげられないんじゃないの?と疑問が湧き出てくる。

特訓の最後で2人は若干仲よさげなので、多分絆が芽生えて的なことを表現する為のシーンなのかなと思うが、ちゃんと描写されていないので一護に情が移っていることが全然伝わってこない。空気感で見せるとか、会話や表情の機微で見せるとか、そういうのもないので、くっつけたようなジャンプ的展開にしか思えなかった。

次に、雨竜から滅却師の話があったけど、一切ストーリーに絡んでこないのも残念ポイント。

虚退治対決も結局していないので、なんで撒き餌を撒いたのか意味不明になっていたし、生き残って殴らせろ!そして僕を殴れ!とかの良いシーンが全くないので雨竜が何をしたいのかも何のために映画に出てるのかもさっぱりわからなかった。

最後の画は良かったんだけど、何で和解してるのかもよくわからないし。

思い切ってばっさり切った方が...とは思うものの雨竜役がなかなかにはまっていただけに難しいところかなぁという思いも。

次、白哉恋次がすぐに出てくるのはまあ、尺の都合で仕方ないのかなという感じ。

公園で恋次とやり合うのは画面的にちょっとどうなのと思わなくもなかったけど。

ただキャラのとこにも書いたけど、白哉がブレてて何したいのか全然わからなかったし、色々端折った結果無理やりな展開になっているように感じた。

力の譲渡は重罪、力を持った人間は殺さなくてはならない、よってルキアは処刑するし一護は殺す。という原作通りで良かったのではないのかな...改変するなら何で力の譲渡が重罪なのか、みたいなところを掘り下げる方面じゃないのか。

全体的にそうだけど、原作は長期連載故の矛盾や無理やりなところを別のものに差し替えようとして失敗した感じがする。掘り下げる方面でカバーすれば矛盾解消で原作ファンも気にならずwinwinだと思うんだけどなぁ。

次、グランドフィッシャーくん、キミ全然疑似餌使ってないがな!笑

狡猾さや残忍さが全くなく、単にでかくて強いのが怖い、って感じになってしまっていて...原作初期のエグさみたいなのがなくなってしまっていたのが非常に残念だった。

戦闘自体は迫力あったんだけどね...。

戦闘の舞台を街中にして画的な盛り上がりを作ったり、茶渡や織姫が一護の気配を感じるところに繋げていたのはありだったかなと思う。

しかしながら一護は仲間の為に頑張れる奴・不良っぽいけど仲間想い・周りの人間を助けたい、みたいな描写がないし、茶渡と織姫はエピソード丸々カットしてるので、全然深みがない。演出の繋げ方は上手かったけど、この演出いる?という...。

おせっかいキャラ感が薄れてるからまだいいにしても、なんで人を巻き込むような街中に逃げてきたのかよくわからないし...。

最後のルキアのシーンは、そこに至るまでの掘り下げが微妙だったので、ふーん、という程度にしか自分には感じられなかった。

ただここのルキアは本当に熱演で、ここまででルキアに対して違和感がなくなっている(あるいは最初からない)人は、それなりにジーンとくる...かな?

不満点を書き出したら長くなったけど、とにかくツッコミどころが多くて、全体として何をやってるのか、何を伝えたいのか全然わからない映画になっていたような気がする。

戦闘のかっこよさだけを見せたかったというならそこそこ良い出来な気もするけど、それにしちゃあ余計な要素(というか説明?)が多い印象が残ってしまった。

台詞も多くて...とはいえ会話のテンポそのものは悪くなかったんだけどね~、もうちょっとコミカルさも欲しかったかな?

とにかくキャラが設定に動かされてる感じがして、生きた人間(生きてないけど笑)の世界という感じがしなかったのが、BLEACH特にキャラが良いと思っているので非常に残念に思いました。

#ちなみにこの脚本家の映画やドラマ、ほとんど観たことなかったです。

 パッチギとかマッサンの人らしいです。

 

■画作り/演出/戦闘

原作の空気をなかなかよく表現できていたと思う。

死覇装(特に白哉)が新品感があったが、そんなに気にならなかった。

カメラワークは平凡だけど、戦闘も含めてかっこいい配置・カットが多く、どこを切り取っても画になる感じだった。

ただ、ちょっと顔アップ多すぎませんかね...不必要にキャラに寄ってる場面も多かった気はする。

ルキアのドアップの後に織姫のドアップ見せられると、お肌から年齢差が...とか^^;

戦闘に関しては本当に良くできていて、さすがのVFXという感じ。

フィッシュボーンもグランドフィッシャーも迫力と怖さがあった。

(ただ、グランドフィッシャーに関してはもっと霊的な恐怖感を出して欲しかったけど)

俳優陣の殺陣もかなり良くて、恋次戦はお約束?のとんでも地上戦を展開していて楽しめた。

白哉は殺陣らしいことはしていないけど、構えから瞬殺!って感じで、強さが伺えてとても良かった...んだけど、ちょっと一護立ち上がりすぎでくどかったかな。

斬る、立つ、斬る、裾掴む、くらいで良かったと思うます。

戦闘に関しては一護もルキア恋次もよくやっていたし、雨竜も出番はちょこっとだけど様になっていて、普通にアクション映画として盛り上がって楽しめたので、非常にグッドでした。

 

■音関連

挿入歌とEDは[Alexandros]。

ドロスの中でも重めのギターリフから入る曲ばかりで、BLEACHの世界とオシャレさを表すのに一役買っていた。

SEも安っぽくなく、曲も含めて戦闘シーンを非常に良い出来にしていたと思う。

戦闘シーン以外の曲については、ややわざとらしいところもあったけど、気になるほどでもなかった。

 

■まとめ

とにかく一護が良い、戦闘シーンが良い。お話部分がまるでダメ。

一護が出ているシーン、戦闘シーンが多いのでそこを気に入った人、あるいはお話の矛盾や無理やりさが気にならない人にとっては、結構な良作に思えるかもしれない。

私も楽しめたのは楽しめたけど、面白い映画だったとは言えないかなあ。

続編あったらまあ観るとは思いますけど、また同じ感じだったら辛い。

ただ繰り返すけど本当に一護が完璧で、この為だけに続編とか観たいなと思わせるパワーはあった。笑

(とはいえ尸魂界編が2時間に収まると思えないけど...)

まあでもこれでるろ剣と肩並べようっていうのはさすがにないかなー。

以上!

向き不向き

pixivMARKETお疲れ様でした。

本見てくださった方、ありがとうございます。

8月のコミティアにも出る予定なので、よろしくお願いします。

(新刊はありません。)

 

今日は向き不向きの話を書きにきました。

自分がそれに向いている、向いていないって、どこで判断してるのかな、という話。

・得意である(他の人より成果が出せる、出しやすい)

・やってて楽しい(苦ではない)

・集中できる、没頭できる

とかが向いてる、その逆が向いてない、の基準なのかな、と思うんですけれども。

これって本当に、大した根拠がないことなんだな~とか思ったりするわけです。

なぜかというと、

・得意である -> 続けていけばできないこともあるかもしれない(今できなくてもこれからできるようになるかもしれない)

・やってて楽しい -> うまくいかない状況になったら楽しくなくなるかもしれない(できるようになったら楽しめることが他にもあるかもしれない)

というように、現時点の状態が将来的にも続かないかもしれないからです。

私も自分である程度これは向いている、向いていないと思うことが色々ありますが、10年後20年後同じかどうかなんて誰にもわからないですよね。

 

例えばというか自分語りですが、私は学生時代、アイデアを出したりするのは苦手だったし、向いていないとずっと思っていて、新しいものを作るのはできないと思っていました(と言いながら絵も描いてたし、開発部署希望でしたが…)

でも、今は違います。アイデアを出すのは苦ではないし、もしかしたら向いてるかもしれない...と思っています。

今は、あの頃は経験が少なかった、やり方を知らなかった、何か有用なことを言わなければいけないと思いこんでいた、のかなぁ、と思います。

他の苦労を知らないっていうのもあったかもしれません。

発散したアイデアを取捨選択して形にしてやり遂げることの難しさに比べたら、無責任にアイデアを出し続けることは、それほど難しいことじゃない気がしています。

 

今の自分にできる=向いてるんだ!って思うのは自然なことですけど、なんか若い頃って突っ走りがちというか、それ以外拒否しちゃうみたいなことも多いのかなって思います。

自分もそうだったし、周囲の人、今の若い人たちを見てもそう思います(自分もまだ若い方ですけど...)

でも若い頃の経験って、そんなに多くないと思うんですよね。

私は、そんなので自分のことわかった気になってる方がおかしいと思うようになりました。

自分の感覚って、結構不確かなものですし。

とは言ってもですね、さっきも書いたように将来のことなんて誰にもわからないんで、結局自分が向いてると思う事柄に注力してやっていくしかないのはそうなんですよね。

いたずらに多方面にいろんなことやった方が良いとか言うつもりは全然ありません。

自分のリソースは有限ですからね。

ただ、自分には向いてないと思っても、もしやる機会があったなら、もうちょっと頑張ってみたりしても良いんじゃないかな、っていうことが言いたいわけです。

辛いことがあっても、それを乗り越えた先に良いことがあるかもしれないじゃないですか。

昨今...に限らず、諦めの美学的なのとか、美しく散るみたいな話も多くて、そういうの信仰してる人も多いなって感じるんですけど、諦めないかっこよさみたいなのもあると思うので、そこのバランス感覚っていうんですかね、見切りをつけるタイミングというか、そういうのをちょっと奥にやったりとか、物事によって変えて良いと思うんで、色々やってみたら、もしかしたらもっと向いていることに出会えるかもしれないし、そういうのも新しいことをやる楽しみのひとつでもあるかなって思うんです。

 

なんか色々ツッコミどころもあるような内容になってしまったけど、まあいいか!

こう思うしこうとも思うこういう側面もあるみたいなの全部書いてたらきりないしね...。

(そういうの網羅したくなっちゃうのは一種の防衛みたいな話もあるし)

ということで今日はこの辺で。

 

 

pixivMARKET

お久しぶりです。

色々考えることややることが多くてなかなか書く時間が取れませんでした。

今も別に書く余裕があるわけではないんですが宣伝させてください。

 

pixivMARKET

日時:2018/06/10(日) 12:00-16:00

場所:サンシャインシティ文化会館ビル 4F展示ホールB (池袋)

スペース:エ9a

market.pixiv.net

参加費無料、電子決済のみのイベントです。

私はオリジナルイラスト本の新刊と、数年前に出したボカロのイラスト本を持っていくつもりです。

新刊は鋭意製作中なので楽しみに!

 

思えばこういうイベントに参加するのもすごく久しぶりです。

ティアに出そう出そうと思ってはいたのですが、気づけば〆切を逆算すると間に合わないなぁってことが多くて、まあ普段から描いてないからそういうことになるんですけど。

しばらくずっと自分の絵を描く余裕がなかったのもあって、ほんとに久しぶりになっちゃいました。

私は、同人誌はテーマと流れをちゃんと考えて、全部描き下ろしにしたいんですよね。

1枚1枚はもちろんなんですが、前後の流れとかも使ってひとつの大きな作品として作りたいんですよ。

だから本を作るとがっつり取り組むことになるし、それが良い機会になると思ってたんです...思ってたらこんな遅くなったんですが^^;

今回のテーマとかは何年か前から次に本を作るならこういう内容にしようと思っていたものなので、既に公開しているイラストもありますが、すべてこの本に載せる為に描いた絵です。

前のボカロの本もそうなんですけど、ひとつひとつのイラストだけじゃなく、本全体での流れとかテーマとか、感じていただければなぁと思っています。

ただ、感じてくれたらいいなとは思ってるんだけど、別に伝えようと思って描いているわけではないので、真意とかは伝わらないとは思うんですけど(笑)

そこは各々で感じてもらえればなと思います。

ちなみに今の進捗は半分くらいで普通にやばいので、ページ数減ったらごめんなさい。

出ないってことはないと思います。多分。

 

正直pixivMARKETはサークル参加費もかからないし既刊も置けるしとりあえず応募してみるか~って思ってたら当選した感じなので、まあでもせっかくの機会というか、さっきも書いたけどずっとタイミング逃していたので良いチャンスだなと思いまして、今せっせこ新刊を作っているわけです。

イベントそのものについては全く読めませんが、もしお時間あるようでしたらお越しいただければ嬉しいです。

 

本の内容やイベントについてはまた宣伝するかもしれませんが、よろしくお願いします!

 

前の本はこんな感じです。

www.pixiv.net

成長と慣れ

今日は短めで(意気込み)

 

成長と慣れの違いについて、自己啓発系の書物やブログでもよく話題になるので、そりゃ違うでしょという方もいれば、特に意識していないという方もいると思います。

私は後者側でしたが、現況を省みる機会があったので少し考えてみました。

 

まずは辞書を引いておきます。

【成長】

・育って、大きくなること。一人前に成熟すること。大人になること。

・物事の規模が発展して大きくなること。
【慣れ】
たびたび経験した結果、当たり前のこととして受けとめるようになる。
・何度も経験してうまくできるようになる。習熟する。
・接触する機会が多く、心理的な隔たり・距離感がなくなる。
…思っていたような内容ではなかったですがまあ良いです。
私もご多分に漏れず、成長と慣れは違いますよねと言いたいだけです。
 
私は会社員ですが、初めて部署を異動した時は新製品の立ち上げとして体制検討を終え、これからトライアルをやるという時期でした。
面談で今後の展望を話すと、うんまあ来年のことは来年聞くから、と躱されてしまって疑問に思ったのですが、数日後には異動が言い渡されました。
その時に、立ち上げを任されたということはそれなりに力が付いたということと、立ち上げのスタートを切れたら後は任せるくらいがちょうど良い、という話をされました。
私としては立ち上げ後は自分の力が発揮できるフィールドで頑張れると思っていただけに惜しい気持ちがありましたが、今にして思えば本当に良いタイミングだったと思います。
自分の力が発揮できるフィールドって、要は慣れてるんですよね。
何をいつどうやれば良いかわかっているから心理的にも余裕があるし、作業の勘所がわかっているので力を入れるところがわかります。
力を入れるところがわかるということは抜くところもわかるということで、まあ要領よくサボったりもできるわけです(笑)
ではこのフィールドで何か成長できますか?ということなんですね。
 
成長しなければ!的な意識高いことを言うつもりも別にないのですが、慣れた作業はつまらないなあと思ってしまう性分でして...。
つまらないというのは私にとって本当にきついことなんです。
よくゲームなんかで脳死(考える必要が一切ない状態)で弱い敵を狩りまくって周回するというのが効率が良いとされるわけですが、こういう作業が私には苦痛で仕方ないのです。
面白くなければ能率が上がらないタイプというんですかね。割と難儀しています。 
ただ、活躍する為には慣れが必要になることが多いんですよね。
慣れた状態でももちろん成長はできるとは思いますが、安定したパフォーマンスが出る=成長が鈍化する、ということはまま言えるかと思いますので、バランスがとても難しいものだと感じます。
当時の上司が私の性分を考慮してくれたということは絶対にないですが(笑)、多分成長させる為にさっさと移してしまおうとは考えてくれていたと思います。
 
この記事は自分の現況も振り返りながら内容も考えながらでとりとめなく書いているのですが、自分という人間をどうしていくか客観的に考えてみるのも面白いなぁと今ふと思いました。
何が面白いのか、自分が許容できるリスクはどこまでなのか、どこまで遊べるのか、どれだけやれば自分は何をどう感じるのか…手に取るようにわかる自分という人間を適切に配置する、その為にどうしたら良いか考えるのって、結構楽しいかもしれません。
私はマネジメントに近い業務を日々やっているのでその影響が大きい気もしますが...笑(実際には人材配置まではやってませんけどね)
こういうことを考えようとすると、今の自分は今の領域でどの辺にいるのか、成長していっているのか、慣れて惰性でやってるのか、どう成長すれば良いのか…というのもたまには考えてみると良いかもしれませんね。
 
よし!すっきり短く終わった…よね?

選ばなかった選択肢

1ヶ月以上空いてますがむしろ1ヶ月なら早いペースかもしれない。

 

さて、今回も先に引用をしておきます。

 

とても面白い記事でした。

私は絵は完全に独学ですが、体系的に学びたいと思うことがよくあり、その際美大に行けば学べるのかな~と漠然と思っていた時期もありますが、実際には違うようですね。

私は本業ではないですし、特に美大コンプレックスみたいなものもないのですが、例えばそういう人が欲しい情報って、記事にある通り美術専門学校みたいなところの方が揃えてるのかなと思います。

 

デッサンなんかは修練がものをいうので自分だけで完結できますが、表現方法や手法、あるいは歴史(?)なんかは完全に独学でやるのはなかなか難しいのではないかと思います。

他人の絵を見て吸収できる人とか、自分の表現だけでやっていける人はたくさんいらっしゃるので、必ずしも必要なわけではないですが...。

私は自分が興味があることに関してわからないことをわからないままにしておくのが嫌なので、「何を目的にした表現方法なんだろう?」とか「これだけしか描いていないのに、なんでちゃんと見えるんだろう?」とかそういうのが気になってしまうのです。

そういう時にちゃんと理論立てた説明があると私は理解がとても早くなるのですが、一方で絵やデザインをやってる方はそうした説明が苦手なのか、商売道具だから隠しているのか、なかなか情報が出てきません。

以前デザインについて調べた時も、UXを考慮してこうしましたとか、パターンの出し方とか、顧客の求めるものを具体化する方法とか...そういう書籍が多かったです。

もちろんそれはデザイナーとしてやっていく上で非常に重要な技術なんだと思うのですが、UXを考慮したこのデザインは何がどう良くてどうなるの?とか、そのパターンはいつどういう時どんな風に使うの?とか、顧客の要求に対してその技術を選んだのはなぜなの?というところが知りたいのです。

角を丸くすると優しい印象になる、画面が穏やかになるとか、その程度の情報で良いので下さい...となる場面が多く、そういう書籍はあまり見かけませんでした。

本当はそういう本もたくさんあると思うので、知っている方は教えて欲しいのですが、このように欲しい情報にたどり着くのに時間がかかってしまうところが、独学のネックだと思います。

 

いきなりかなり話が逸れました。

今回は技術的な話をしたかったのでも独学の話をしたかったのでもありません。

表題の通り、選ばなかった(選ばれなかった)選択肢についてのお話です。

 

選ばなかった選択肢というのはどうにも魅力的に見えるもので、あの時あっちを選んでいれば...という後悔は枚挙に暇がありません。

先の記事にも出てきていましたが「○○の時間を××に費やしていれば...」というのもそうです。

しかし、こういう感覚はえてして○○によって得られたものを持っているからこそ思うもので、××に時間を費やしていた場合○○は得られなかったし、○○に付随した他のものも全て得られなかったことになるのです。

そうすると、○○をやっていれば...と考えるわけで、要はないものねだりなのかなと考えています。

引用記事にも「選択肢自体に良し悪しはない」と書かれていましたが、全くその通りだと思います。

隣の芝生は青く見えるとか、逆の話ですっぱい葡萄とか、まあその手の話が昔から転がっているところを見るに、人間ってそういうものなのかなと思います。

 

選ばなかった選択肢は魅力的に見えること、選択肢自体に良し悪しがないことをちゃんと知っておかないと、いたずらに後悔を増やしてしまうことになりかねないので、自戒の念も込めて今回記事にしています。

私も頭では理解していてもやはりそう思うことは多々あるもので、あの時ああしていればどうなったのかなぁ、と物思いに耽ることもしばしばあります。

そういうのもある意味で楽しんでいるので、それはそれで良いのかなと思う部分もありますが、本当に心底後悔してしまうことが多い方は、もう少し生きやすく考えれば良いのにな...と思います。

例えばよく聞く話を挙げると、あの時遊んでないでもっと勉強しておけばよかったという話がありますよね。

勉強しておけば苦労することがなかった、もっと別の道があった...ということだと思いますが、一方でその時その瞬間遊ぶというのはとても重要なことでもあります。

物事には何でも旬があって、その時楽しめたことが後でも楽しめるとは限りません。

「その時楽しめた」というのは非常に素晴らしいことで、大変貴重なものです。

極端なことを言えば、「その時楽しめた」がずっと続けばずっと楽しいという考え方もありますし、それをネタに誰かと話せたとか、仲良くなったとか、こういうことをすれば楽しいんだと理解するとか...自分が無駄にしたと思っていることでも、気づいていないだけで様々なことを学習しているものです。

(その時特に楽しくもなかったのに続けてた…みたいな話もありますが、それはそれで経験のひとつです。)

そう考えれば、いたずらにあれは無駄だったとしてしまうことはとても勿体なく、また精神衛生上でも非常に良くないです。

その時楽しかった経験を後から否定してしまうと、自分を構成するもの...ひいては自分を否定することになるので、これが癖になると色んなことを嘘にしてしまい、自己肯定感が著しく下がります。

自己肯定感が下がると、どうせ自分なんか...と挑戦する意欲も下がりますし、こんなことしたって...と楽しいはずのことが楽しめなくなったりして非常に危険です。

仮に同じことをして同じ結果を得たとしても、後からの考え方で全然違う道が続いていきます。

結局その道を選んでいるのは自分なんですよね。

過去の出来事は変えられないですが、考え方でいくらでも意味を変えられるものでもあると思います。

 

そうは言ったところで何もかもに対してそんな風に思える訳もないし、"今の"自分がなりたい道に対して逸れる選択をしてしまっていた場合、どうしても後悔はしてしまいます。

(この記事を夜中に書いてるのもきっと明日の朝後悔するでしょう...。)

でも、ちょっとこういうことを知っているだけで、過去の自分を馬鹿だと責めたり、他の選択肢を選んだ人を羨んだりということは少なくなる、あるいは軽くできると思います。

後悔の循環に陥ることで怖いこととして自己肯定感の低下を挙げましたが、それ以外にも怖いのが、後悔を避けるような行動をしてしまうことです。

"良い"とされる流行だけを追うようになったり、楽しいことを無理に抑圧したり、リスクだけを見てリスクの低い方を選んだり...。

よく「後悔しない生き方をしよう」というフレーズがありますが、こういう行動を誘発してしまう為私はあまり好きではありません。

そういう意味ではないことはわかっていますが...「後悔しない生き方」ではなく「楽しい生き方」とか「嬉しいことが多い生き方」とかの方が良いんじゃないかと思います。

否定的な語を否定する構成がいかにも日本語な感もありますが、言葉は一旦考えなければならないものよりも、すぐに頭に入って定着する語の方が絶対に良いです(また話が逸れるのでこれ以上はやめときますが...笑)。

 

長くなってきたのでそろそろ話を畳みます。

今回選択肢の話を通して書きたかったのは、後悔の誘惑は至る所にあるので、それを理解した上で生きやすい考え方をしましょうということです。

生きやすい考え方、生きにくい考え方というのは確実にあると思っていますが、私の書いていることを鵜呑みにする必要は全くなく、自分にあったものを選んで身につけるのが良いと思います。

考え方というのは自分で選んで身につけられるものです。

人は簡単に変われないとか、考え方を変えるのは難しいとか、そういう「わかりやすく諦められる考え方」も世間には溢れていますが、それは自衛手段のひとつであって、それが世界の真理ということでは決してありません(これは決意表明に近いですが...)。

そういう擦れた考え方は所謂中二病高二病?)のひとつと思うと、なんだかチープに見えてきませんか。

人は変われると思ってる人が実際に変われたら、自分が選ばなかった方の考え方が羨ましく見えてこないでしょうか。

私も昔からこんな考え方だったわけではありませんし、多分これからも変わっていくと思います。

みんなが少しでも楽に生きられるようになれれば、その一助となれれば幸いです。

 

#読み返すと、お前誰やねんと言いたくなる感じでした。笑

 誰向けに書いているのかよくわからないし、なんか偉そう…。

 

絵を描く欲求

最初のテーマということで絵に対しての話を書きます。

いきなりあほほど長いですが、暇な人はお付き合いください。

(こういった長文を書くのも懐かしい...)

 

最近は絵を描く機会がめっきり減ってしまって、年間で10枚も描けば良い方という感じになっています。

小さいものを含めるとちゃんとしたものを今年はもう10枚以上描いていますが、一時期は年間30枚くらい描いていたし、もっと言えば学生の頃なんかは月に何十枚も描いていた時もありました。

もちろん、私は会社員なので仕事が増えていって忙しくなったとかそういう理由もあるのですが、モチベーション的な意味でも当時と比べるとかなり減退していると感じています。

そのあたりのことを色々と考えていたところ、あるエントリがあったので自分の考えを書いておこうと思った次第です。

 

まず、そもそものモチベーションについて。

絵を描く目的って、人によって違いますよね。

最終的には描きたいから描いている...に行き着きそうですが、なぜ描きたいのか?源泉たる部分は何なのか?は人によって全然違うと思います。

・描くという行為が楽しい

・成果(成長)が目視できるから楽しい

・描きたいものがある

・他の人の物では満足できない

・認められたい

・描くのが得意

・他のことができない

他にも色々あるでしょうし、多数派は時代によって違うでしょう。

絵に限った話ではないかもしれないですが、今は認められたい人が多いのかなーと感じています。

これはSNSなどで「認められた」と感じるハードルが下がったことにも起因していると私は考えていて、その環境故に発生している問題もあって...とこれだけでひとつエントリーが書けそうな話題ではあるのですが、火傷しやすいテーマなので深くは触れないでおきます。

私は絵で認められたいという気持ちがないわけではないですが、周りを見ているとかなりその気持ちは弱い方なのかなと思いますので、今回の本題ではありません。(今回の話の対象はあくまでも私。)

 

私が描きたい理由は、主に上4つです。

描くのは単純に楽しいし、

練習すれば上手くなるのがよくわかるしもっとこうなりたいというのが明確だし、

描きたいものがあるし、

描きたいものは自分がその時感じたことや考えたことなので、他人にはできない。

これらはきっと一生満足することはないでしょう。

 

とはいうものの、冒頭に記した通り最近は描く機会が減っています。

なぜなのか考えた時、

描くのは今でも楽しいのに、どうして描く気になれないんだろう?

もっと上手くなりたい、描けるようになりたいと本当に思っているのにどうして?

描きたいものはまだまだあるのに、なんで描かないんだろう?

というのが疑問でした。

まあそんなことをうだうだ考えるよりも先に手を動かした方がなんぼか有意義な気もしますが、その折に以下のエントリを読みました。

 

mistclast.hatenablog.com

中毒っていうのはまたちょっと違う話なんですけど、要は情報過多になってしまっているのではないかと思ったのです。

現代ではtwitterやPixivで好きな絵描きさんをフォローしたり登録したりして、その数が増えると一日に何件も素晴らしい絵を見ることができます。

それに対して、すごい絵がいっぱいだ!自分も描けるようになりたい!となる人も当然居るでしょう。

私もどちらかというとそういうタイプではあったのですが、最近は本当に単に良い絵だなぁとか、凄いなぁと思うだけになることが多いと思ったのです。

それはSNSなどの環境の要因よりも、自分の内的な要因が大きいと考えています。

体力的に疲れているとか、精神的な余裕がないとか...そんな状態の時って、あまりやるぞ!とか、負けないぞ!という気分にはなれないものです(少なくとも私は無理です)

 

やや脱線しますが、余裕がないから奮起できない...というとよく言い訳として扱われてしまいます。しかし実際にはよくあることで、真実だと私は思っています。

そういった負荷を跳ね除けた者だけが成功するのだ、成し遂げられないのは想いが不足しているからだ、耐えられないのは弱いからだ、というような話もよく聞くことではありますが...もちろん想いが強ければ出来ることもあるでしょうが、想いさえ強ければ良いとか、想いが足りないのがダメなんだというのは、私は違うと思います。

なぜなら大してやりたいと思っていなくても余裕があったからやった、なんて経験は多いですし、私の中では他の何よりも絵が大きな比重を占めていることは、絶対に嘘ではありません。

(でも本業にはしてないじゃん、と言われるとそれはその通りなのですが、それはそれで書くことが山ほど増えるのでまたの機会に。)

要は何が言いたいかというと、余裕を持つのか、想いを強めるのか、負荷に耐えられるようにするのか...どれを起点にするかはその人が自分にあったものに決めれば良いということです。

私は、余裕を持つということをあらゆる面で非常に重要視しているので、それに注力するのが良いのでは、と自分で思っています。

 

ただ...極端に余裕がない、できない時にはよく当てはまる話だと思うのですが、実際には普段そこまでの余裕がないわけでもないのに描けない、描かないことも多いです。

想いが強い場合にはそれが起点になって描けるので、想いが足りないと思ってしまいがちなのですが、今回はそうではなく単に余裕がないだけなのではないかと考えてみることにしました。

自分の一般的な状態は、ダメージを負ってはいないけど、何だかずっと疲弊している...最大HPが減っているような状態なんだと考えました。

つまり日常的に疲れている。

 

いや実際仕事に行って帰宅するとどれだけサボってもやはり疲れていますし、絵を描くのはどうしてもその後になるので疲れているのは当たり前なんですが、それだけでは説明が付かない何とも言えぬ疲労感、それが先にエントリの紹介で触れた「情報過多」によるものなのではないかと考えました。

情報をちゃんとインプットとして受けるにはそれなりにエネルギーが必要なので、なんとなくだらだら情報を浴びていると、エネルギーを消耗する割にはインプットにならず、結果行動にも移せない、行動に移せないから焦燥感だけが蓄積してそれが更に疲労になるという悪循環が発生する。

つまり情報を受けすぎ、この場合は絵を見すぎているということです。

絵を見て疲れるなんてことあるの?という気もしますが、慢性的に刺激を受けていれば刺激にはならなくなりますし、その状態でも刺激を受けてはいるので、やはりそれなりのエネルギーを使って疲弊はしていると思います。

他人の絵を見ることである種の満足感も得られますが、実際に自分の絵を描く欲求が解消することはなく、疲弊によってその欲求を満たすことができない。

加えて言うなら、絵以外のことも情報としては受け取っているわけで、それによって無用な思考を巡らせたりして、無駄に不安がったり、不必要に焦ったりすることもままある為、より一層疲労は蓄積し、本来の欲求を満たす行動を行うことができない。

これが無自覚に行われているとすれば、それこそ無駄な疲労ですよね。

 

ということで...ちょっと色んな情報の受取を、減らしてみようかなと思っています。

多分相変わらずtwitterではよく発言するとは思いますが、意図的に情報を得ない時間を作ります。

ちゃんと回復して、その上でインプットすることを目標にしてみます。

そうすればもう少し余裕が出来て、もっと描きたいと思えるのではないかと。

瞑想とかも遮断による回復効果があるからやるべきという意見もあるようですし、何某か効果はあるのではないでしょうか。

まあ、色々試してその時々で良いと思うことをやっていくだけではあるのですが、とりあえずしばらくはそれでやってみようと思います。

また精力的に描いて創りたいというのは、いつでも思っていることなので。

(これがまた焦りになってるんですが)

 

作成の経緯と目的など

日常で思ったことや考えたことをしたためる場所がなく、twitterに連投していたのもどうかなと思っていたので作ってみました。

借りてるサーバもあるんだけど、そっちは絵で使っているので(更新してないけど)

#はっきり言ってWebのページを自前で更新するのは色々と面倒なんです。

 面倒な作り方をしたせいでもあるけど。

 

こんな時に使うと思います。

・文章を書きたいと思った時

・考えたことや思ったことを書きたい時

・何かの感想を書きたい時

・絵の解説をしたい時

要は長文用です。

一応こんなこと考えましたよーとかはtwitterで紹介するとは思いますが、誰かに見られたいとか広めたいとかいう気持ちはないので、自分用として使えればなあと思っています。

ひとつふたつ書いてやめそうな気もしますけど...というか長期間放ったらかしにする可能性も大いにあると思いますが、まあそれでいいかという気持ちで作ってみています。

 

以上!